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葬儀の帳場のやり方が よくわかりません。 宜しくお願いします







- 回答 -

基本的には、香典を受け取る→その場で金額確認する(不祝儀の場合はその場開封で構わないとされます。ただ、後ろの机で行なうのが普通ですが)→記帳する(帳簿と香典袋の両方に書き込むのが望ましい)→計算する→香典袋と現金を束ねてご遺族に渡す) という動きになります。これを、受付担当、計算・記録担当の2人1組で行なうのが効率的ですね。そういう意味で、受付の机配置も重要です。受付担当と計算・記録担当が背中合わせに座り合う形を取れれば、香典袋とお金は参列者に対して平行に流れてゆくので、いざという時にチェックもしやすいでしょう。参列者数が多い時には、この組数を増やして行けばよいわけです。



なお、最近は、葬儀社によって記録簿(香典帳)も様々になりました。昔ながらの大福帳みたいな記録帳をそのまま使い続けている葬儀屋さんもいれば、記録やチェックのしやすいカード式の物を使ってくれるところもあります。当然、カード式の方が受付にとっても遺族にとっても便利ですし省力化できます。もし、大福帳みたいな香典帳しか出ていなかった時には、念のために葬儀社の方に聞いてみるとよいでしょう。カード式のものに取り替えてくれるかも知れません。



(この記事は「Yahoo知恵袋」より引用させて頂きました)



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 八田木枯氏(はった・こがらし、本名・光=ひかる=俳人)19日、間質性肺炎のため死去、87歳。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は長女、夕刈(ゆかり)さん。後日、お別れの会を開く予定。



 昭和52年、俳誌「晩紅(ばんこう)」創刊。平成17年に現代俳句協会賞、23年に小野市詩歌文学賞を受賞した。





(この記事は社会(産経新聞)から引用させて頂きました)



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葬儀を故人の遺言で密葬で行うので葬儀会社の会館を借りず自宅で行いたいのですが、六畳二間の狭い家で家具などもあるので使えるのは一間だけです。参列者は3~4人程度なのですが、葬儀会社では祭壇のサイズが合わないので無理なようなことを言っているのですが、故人は地味な性格で私も葬儀会社の演出過剰な派手な葬儀には抵抗があります。葬儀の祭壇などはどこまで地味に簡略化できるものでしょうか?宗旨は浄土真宗本願寺派です。

(この記事は「教えてgoo!」より引用させて頂きました。)



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葬儀屋で働いている26才男です。



女性からみて彼氏が葬儀屋で働いているのは嫌ですか?





- 回答 -

私も葬儀関連の仕事をしてますが、実は同業者とはあまり付き合いたいと思いません。

理由は、葬儀社にお勤めならご存知の通り、自由になる時間が極端に少ないからです^^;

就いてる業務にもよりますけど、それ次第じゃデートの予定も何もあったもんじゃないですからね・・・

自分も休みが少ないのに相手もそうだったら、淋しくて死んでしまいます(苦笑)



でも、勤務環境に恵まれていて休みがきちんと取れるなら、何も気になりません。

実際は私には恋人がおりますが、ちゃんと応援してくれていますよ。

お互い、自分の仕事に誇り持って頑張りましょ!



(この記事は「Yahoo知恵袋」より引用させて頂きました)



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 幼い兄弟が暮らす仮設住宅は坂の上にあった。3月上旬、岩手県陸前高田市。及川律(りつ)ちゃん(5)と弟の詠(えい)ちゃん(3)は勢いよく玄関から飛び出し、そろいの長靴で雪の上を跳ね回った。



【2011年3月11日午後2時46分】東日本大震災 東北でM9.0



 まだ津波の爪痕が残る街では、わずかなスペースも貴重な遊び場だ。大雪が降った後は父克政さん(34)が仮設の前に「かまくら」を作り、2人で入ってラーメンを食べた。



 母久美子さん(当時32歳)と家族で暮らしたアパートは津波で流された。克政さんは幼い兄弟を連れて義父母宅に身を寄せ、昨年7月に3人で仮設住宅に入った。カーテンやソファ、こたつ布団、室内は妻が好きだった白にそろえた。部屋に飾った久美子さんの写真がほほ笑む。「ママが幸せに暮らせますように」。2人は公園で見つけた四つ葉のクローバーを供えた。



 市職員の克政さんは毎朝、保育園に2人を送ってから職場に向かう。2人を迎えに行くのは祖母まみ子さん(62)の役割だ。兄弟は「ジイジ、バアバ」の家で、父の仕事が終わるのを待つ。



 夕食は3世代そろって食べる。詠ちゃんは祖母の手料理が大好き。「料理上手は、0番がママ、1番がバアバ」。ラーメンサラダを作った克政さんが「ママも作ってくれたよね」と言うと、詠ちゃんは「それは言わないで。ママがいないの悲しいね。会いたいね」と返した。震災直後は言わなかった寂しさを、最近は口にする。



 母を亡くした時、兄弟は4歳と2歳。「死を理解できない年ごろ」と、大人たちは思ったが、幼い心はしっかり受け止めていた。



 久美子さんは勤務先の図書館に隣接する体育館に避難し津波に遭ったという。壊れた図書館の近くを通ると、2人は「図書館だ」と叫び落ち着きをなくす。「がれきの見えない場所で遊ばせたい」。克政さんは時々、内陸の公園まで車を走らせる。



 「子供の前では泣かない方がいいのかもしれない。でもかわいい仕草を見ていると、妻に見せられないのがつらい」と克政さんが涙ぐむ。律ちゃんは「悲しくないよ。パパと暮らしてるから」と言った後、「でも本当はさびしいよ」とつぶやいた。律ちゃんはママと車の中で聴いた戦隊シリーズのCDばかりを聴いている。



 窓際に詠ちゃんが立つと、律ちゃんは「ママから見えなくなる。だって見てるもん」と口をとがらせる。幼い2人は葬儀に参列し、納骨もした。ママがいつも空から見守っていると信じている。



 夕食を終え、仮設住宅へと帰る道。兄弟は夜空を見上げ、パパが教えてくれた「ママの星」を探す。「一番きれいな星なんだ」。だから、必ず見つけられる。【長野宏美】







(この記事は社会(毎日新聞)から引用させて頂きました)



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