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 宮城県南三陸町の三浦ひろみさん(52)は、この1年、東日本大震災で行方不明になった町職員の夫毅さん=不明当時(51)=の帰りを祈り続けてきた。夫が津波で流された町防災対策庁舎に、雪の日も風の日も足を運んだ。あの日から時間は止まったままだが、供養のため4月に葬儀を出す。「心から笑える日なんて来るのかな」。心の整理はつかず、防災庁舎を見上げる日が続く。

 「ふぶいてっから、きょうは冷たいよね。お父さん、温まってね」

 雪が降りしきる2日夜も、ひろみさんは防災庁舎に車を走らせた。暗闇の中、車のヘッドライトで祭壇を照らす。赤い鉄骨が浮かぶ。好物の日本酒をそっと供えて「帰ってきてよ、早く」。

 祈りを重ねて、また3月が巡ってきた。

 昨年3月11日。町危機管理課職員の毅さんは防災庁舎2階の放送室で、最後まで町民に避難を呼び掛けた。ひろみさんは手掛かりを求め、庁舎周辺を毎日歩き回った。

 ヘルメットをかぶり、鉄骨がぶら下がる2階にも上った。「ねぇ、返事してよ」。泣きながら大声で叫び続けた。

 3カ月後の6月11日。「毎日待ってるから」。夫の携帯電話を鳴らし、留守番電話に吹き込んだ。誕生日には携帯メールを送った。「会いたいよ」。結婚記念日の秋。挙式した町内のホテルに泊まり、思い出に浸った。窓の外に人なつっこいウミネコ。「お父さんなの?」

 季節感はなく、大みそかも正月も自宅で泣いて過ごした。年が明け、行方不明の町職員の葬儀を営む家族が増えた。

 「本当は2年でも3年でも、一生でも待ちたい。でもお父さんは、天国でみんなと一緒に居たいのかもしれないな」

 区切りではない。供養なんだ。自分に言い聞かせ、葬儀を4月にすることを決めた。死亡届を出す。死を認めてしまうことに胸が張り裂ける。

 夫がいない暮らし。何を食べてもおいしいと思えない。おしゃれも、化粧もしたくない。

 「私が悲しむ姿をお父さんが望まないとしても、どうやって元気になればいいのだろう。前へ進むって、なに」

 まだ1年。悲しみは癒えない。

(この記事は宮城(河北新報)から引用させて頂きました)



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