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【新刊】金鳳著、ソン・スンヒ訳『障ナ穎超評伝(全3巻)』(ソミョン出版社)
1919年夏、当時15歳だったトウ穎超(トウは登におおざと)=中国の女性運動家=は、直隷第一女子師範学校(中国・天津)の友人たちと共にチャリティーの演劇を準備していた。トウ穎超が演じる役は、新劇『安重根伝』の主役・安重根(アン・ジュングン)。新劇の公演経験がないトウ穎超は、天津の南開高等学校在学中に演劇の役者として名を上げた6歳年上の周恩来に演技指導を頼んだ。日本留学を終えて帰国したばかりの周恩来は、ちょうど五四運動の時期だったため学生運動に奔走していた。周恩来はトウ穎超に力を貸し、同年8月に天津の広東会館で2度にわたって公演が行われ、大成功を収めた。数年後、二人は夫婦になった。中国最高の首相に挙げられる周恩来と女性運動家のトウ穎超の縁を結んだのは、安重根だったというわけだ。
中国紙『人民日報』記者の金鳳が書いたトウ穎超(1904-92)の評伝は、五四運動、国共合作と国民革命、日中戦争と国共内戦、大躍進運動と文化大革命、改革・開放に至るまで、中国現代史の中心にいた1人の女性の人生をドキュメンタリーのように描写した。トウ穎超は非常に早熟で、15歳で天津女性界の愛国同志会幹部を務め、五四運動にも身を投じた。また、周恩来が主導した天津の学生運動団体「覚悟社」の主要メンバーとしても活躍した。
天津の女性運動を主導していたトウ穎超は、21歳(1925年)のとき中国共産党の党員となり、30年代初めから35年10月にかけて、中央ソビエトがあった江西省瑞金を経て陝西省延安までの2万5000里に及ぶ「長征」にも参加した。周恩来・トウ穎超夫妻は、革命のために多くのものを捨てなければならなかった。トウ穎超は2度妊娠したが、最初のときは革命が優先と判断し、中絶のための薬を飲んだ。2度目のときは、出産の途中で子どもを亡くした。そして、妊娠はできないという診断を受けた。
トウ穎超は49年以降、中共中央政治局委員、全国政治協商会議主席を務め、92年に世を去った。夫の周恩来は16年前に既に世を去っていた。トウ穎超は早くから「遺体は解剖した後、火葬する」「遺灰は残さずまく」「葬式や追悼式はやらない」などの遺言を残していた。
本書は個人の著作ではあるが、中国共産党の企画と協力の下、トウ穎超と直接的・間接的に関係があった人物約600人にインタビューし、関連資料を徹底的に調査して書き上げた公式の伝記だ。中国共産党の公式評伝機関「中共中央文献研究室」の『周恩来伝』(1989年)が、個人より党と革命を優先しているのに比べ、私的な記録が相対的に豊富に盛り込まれている。1470ページ、10万8000ウォン(約8000円)。
(この記事は韓国(朝鮮日報日本語版)から引用させて頂きました)
au 機種変更
1919年夏、当時15歳だったトウ穎超(トウは登におおざと)=中国の女性運動家=は、直隷第一女子師範学校(中国・天津)の友人たちと共にチャリティーの演劇を準備していた。トウ穎超が演じる役は、新劇『安重根伝』の主役・安重根(アン・ジュングン)。新劇の公演経験がないトウ穎超は、天津の南開高等学校在学中に演劇の役者として名を上げた6歳年上の周恩来に演技指導を頼んだ。日本留学を終えて帰国したばかりの周恩来は、ちょうど五四運動の時期だったため学生運動に奔走していた。周恩来はトウ穎超に力を貸し、同年8月に天津の広東会館で2度にわたって公演が行われ、大成功を収めた。数年後、二人は夫婦になった。中国最高の首相に挙げられる周恩来と女性運動家のトウ穎超の縁を結んだのは、安重根だったというわけだ。
中国紙『人民日報』記者の金鳳が書いたトウ穎超(1904-92)の評伝は、五四運動、国共合作と国民革命、日中戦争と国共内戦、大躍進運動と文化大革命、改革・開放に至るまで、中国現代史の中心にいた1人の女性の人生をドキュメンタリーのように描写した。トウ穎超は非常に早熟で、15歳で天津女性界の愛国同志会幹部を務め、五四運動にも身を投じた。また、周恩来が主導した天津の学生運動団体「覚悟社」の主要メンバーとしても活躍した。
天津の女性運動を主導していたトウ穎超は、21歳(1925年)のとき中国共産党の党員となり、30年代初めから35年10月にかけて、中央ソビエトがあった江西省瑞金を経て陝西省延安までの2万5000里に及ぶ「長征」にも参加した。周恩来・トウ穎超夫妻は、革命のために多くのものを捨てなければならなかった。トウ穎超は2度妊娠したが、最初のときは革命が優先と判断し、中絶のための薬を飲んだ。2度目のときは、出産の途中で子どもを亡くした。そして、妊娠はできないという診断を受けた。
トウ穎超は49年以降、中共中央政治局委員、全国政治協商会議主席を務め、92年に世を去った。夫の周恩来は16年前に既に世を去っていた。トウ穎超は早くから「遺体は解剖した後、火葬する」「遺灰は残さずまく」「葬式や追悼式はやらない」などの遺言を残していた。
本書は個人の著作ではあるが、中国共産党の企画と協力の下、トウ穎超と直接的・間接的に関係があった人物約600人にインタビューし、関連資料を徹底的に調査して書き上げた公式の伝記だ。中国共産党の公式評伝機関「中共中央文献研究室」の『周恩来伝』(1989年)が、個人より党と革命を優先しているのに比べ、私的な記録が相対的に豊富に盛り込まれている。1470ページ、10万8000ウォン(約8000円)。
(この記事は韓国(朝鮮日報日本語版)から引用させて頂きました)
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