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銀世界に包まれた北アルプスの麓、長野県白馬村のペンションでオープンに向けて準備中の木村紀夫さん(46)は、1年前から岡山県で離れて暮らす長女の舞雪(まゆ)さん(11)=小学5年=に思いをはせながら、しみじみとかみしめた。「やっぱり親子は一緒に暮らさないとね…」
津波は福島県大熊町に住んでいた木村さんから何もかも奪い去った。父の王太郎(わたろう)さん(77)、妻の深雪(みゆき)さん(37)、そして次女で小学1年の汐凪(ゆうな)ちゃん(7)は自宅とともに流され、勤めていた養豚場も被災、職を失った。
さらに東京電力福島第1原発事故は、残された父と娘も引き離した。木村さんは事故後まもなく、舞雪さんを妻の実家の岡山県に避難させることを決断。流された3人が見つかっていなかった。自身に残された道は母の巴(ともえ)さん(73)とともに福島に残ることしかなかった。
木村さんは、舞雪さんが避難する車中で妙に明るかったことを覚えている。勝手に作詞した意味のない歌を口ずさみ、笑顔を振りまいた。「父親に心配をかけないようにしていたのか、それとも悲しみを封じていたのか。その姿がふびんに思えた」
それから月に1回程度、岡山を行き来する生活が始まった。電話でも頻繁に話したが、舞雪さんは以前と変わりない様子だった。家族の思い出の写真も見るし、「あのころは楽しかったね」「遊び相手の汐凪がいないとつまんない」と冷静に話した。
だが、舞雪さんの心の傷の深さは想像以上だった。4月末に王太郎さんの遺体が発見されたのに続き、6月2日、自宅から50キロ離れた場所で見つかった遺体が深雪さんと確認された。それを伝えたとき激しく取り乱した。その後は津波のニュース映像に目を向けず、深雪さんの話は口にしようとしない。
木村さんの不安は募る。「いずれ大きくなったときに傷が表に出てくるのではないだろうか…」
舞雪さんは家族だけでなく、お互い支え合うはずの友人も転校を余儀なくされ、散り散りになった。かといって故郷に戻れるようになっても放射能への不安はどうしてもつきまとう。
最愛の娘を思う木村さんは決断した。
「もう故郷に戻らない」
新天地は長野県白馬村。まだ見つかっていない汐凪ちゃんの捜索もあり、福島県会津若松市の仮設住宅で一緒に住む母は故郷を離れたくないと言った。だから、放射能の影響はなく車で通える場所を選んだ。
趣味のスキーや自然散策を生かし、思い切って中古のペンションを購入した。そして、4月に舞雪さんを白馬に呼びよせることにした。
2月25日、1年の区切りを前に、汐凪ちゃんが見つかるまでは、と思って待っていた3人の葬儀を行った。「3人にも人生がありつながりがあった。周囲にも区切りをつけてもらう必要があった…」
木村さんは今でも、舞雪さんに、母と妹を亡くしたことや思っていることを聞きづらいという。でも心の底から願っていることがある。「舞雪と一緒に笑って生きていきたい。それを天国の3人に見ていてほしい」
(森本充)
(この記事は社会(産経新聞)から引用させて頂きました)
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